東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)221号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯等)、二(本願発明の特許請求の範囲)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、参加人主張の審決の取消事由の存否について判断する。
参加人は、審決が、本願の明細書及び図面の記載は意味の不明瞭な記載や矛盾した記載が多く、本願発明の要旨を把握することは困難であるから、本願は特許法第三六条第四項及び第五項に規定する要件を満たしていないとした認定、判断は誤りである旨主張し、これに対し、被告は、事実摘示第三、二、1、(一)ないし(三)の基本原理及び同(五)の構成が明らかにされた上で、同(一)及び(四)の点の周波数と関係づけて説明されることにより始めて本願発明が理解できるが、右いずれの点においても本願明細書及び図面の記載は不備であり、当業者が本願発明を容易に実施できる程度に目的、構成及び効果が開示されていない旨主張するので、以下この点について検討する。
1 事実摘示第三、二、1、(一)について
成立に争いのない甲第八号証(昭和五六年一一月二〇日付け手続補正書)、第一二号証(昭和五七年七月二二日付け手続補正書)及び第一四号証(昭和五八年八月二六日付け手続補正書)によれば、本願明細書には、周波数f1で変調した基準ビームと測定ビームとの位相差が周波数f2の信号とそれぞれ混合したとき、そのまま混合波に存在する旨の記載はないことが認められる(この点は参加人においても自認するところである。)。
ところで、成立に争いのない甲第一七号証(株式会社コロナ社発行「改訂振動工学」中の「1.3調和振動の合成」の項)によれば、周波数が同一の二つの信号間の位相差がβである場合に、それらの信号にそれぞれ第三の信号を混合したとき、二つの混合信号間の位相差も同様にβとなることは、信号処理技術における一般原則であることが認められ、右原則を本願発明の場合に適用すれば、それぞれ周波数f1で変調した基準ビームと測定ビームとの間の位相差βは、それらに周波数f2の信号を混合したとき、二つの混合信号間の位相差もβとなるということができる。
しかしながら、参加人が、本願発明において重要なことは、周波数f1で変調した基準ビームと測定ビームとの間の位相差が周波数f2の信号とそれぞれ混合したとき、そのまま混合波に存在することではなく、基位相差ψを生じるように周波数f1で変調することである旨主張していることからすると、右位相差βを保持していることが本願明細書に記載されているか否かは、本願発明を理解する上で特に意味があるものと認めることはできない。
したがつて、本願明細書に、周波数f1で変調した基準ビームと測定ビームとの位相差が周波数f2の信号とそれぞれ混合したとき、そのまま混合波に存在する旨の記載がないことをもつて、本願明細書の記載に不備があるとすることはできない。
2 同(二)について
前掲甲第八号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明には、「本発明は二点間の距離およびその相対的高度を単一のステツプでしかも高精度において測定するための装置にかゝわる。」(第三頁第八行ないし第一〇行)、「本発明の主な目的は、単一のステツプにおいて二点間の距離およびその相対的高度を光電的に測定できる装置を提供するにある。」(第四頁第一七行ないし第一九行)と記載されていることが認められ、右記載事項によれば、本願発明は単一ステツプで距離測定を行うものであると理解することができる。
そして、成立に争いのない甲第一九号証(米国特許第三六五二一六一号明細書)によれば、同明細書は一九七二年(昭和四七年)三月二八日に発行されたものであつて、同明細書には、別紙図面(二)記載の図面が掲載され、同図面について「第一図は位相測定による距離測定方法を図示する。発信部から波Mが鏡Sに向かつて発信され鏡Sにて反射する。鏡への入射光はMで示され反射光はM´で示される。」(第二欄第二行ないし第六行)と説明されていることが認められ、右認定の事実によれば、単一ステツプによる距離測定は本件出願前公知であつたこと、公知の単一ステツプによる距離測定は一つの変調周波数のみを用い、しかも右周波数をその波長が測定距離よりわずかに短くなるように選定するものであることが認められる。
右の点を前提とすると、本願発明において、単一ステツプによる距離測定を行おうとする場合、変調周波数f1はその波長が測定距離よりわずかに短くなるように、換言すれば、基準ビームと測定ビームとの間に基位相差ψが生じるように選定すればよいということはできる。
ところで、本願発明が単一ステツプによる距離測定を行うものである以上、周波数f1としてどのような値を選定するのか、例えば、どのように基位相差ψが生じるように選定するのか、又は2nπの項を排除するように選択するのか、などが重要な事項であることは明らかであるが、前掲甲第八号証、第一二号証及び第一四号証によれば、本願明細書及び図面には右の点についての記載はないことが認められる(この点は参加人も自認するところである。)から、本願明細書及び図面の記載には不備があるといわざるを得ない。
この点について、参加人は、本願発明は、基準光と測定光の光路差を位相差のみの測定により、単一ステツプで測定することにより距離を測定しようとするものである以上、この原理に基づき一波長(2π)内の位相差に対応した距離を測定しようとするのは当然であるから、「2nπの項を排除する」ということは、本願明細書に明示的に記載しなければならないものではない旨主張するが、2nπの項を排除することは、本願発明における単一ステツプによる距離測定の基礎になる重要な事項であり、当然本願明細書に記載されるべきものであるから、右主張は理由がない。
次に、参加人は、前記米国特許明細書に示されているとおり、単一ステツプにより距離を求めようとする場合、一波長内の位相差をもつて測定することは公知であつたから、右公知技術を前提として本願明細書を読めば、単一ステツプによる距離測定が2nπの項を排除するものであることは明示の記載がなくても十分理解できる旨主張する。
しかし、2nπの項を排除することは、本願発明における単一ステツプによる距離測定の基礎になる重要な事項である以上、単一ステツプによる距離測定が公知であるからといつて、右の点についての記載を実施例の説明から全く省くことは、適切に本願発明の開示をしているとはいえず、このような明細書の記載は不備であるといわざるを得ないのであつて、参加人の右主張は理由がない。
また、参加人は、本願発明の要旨は距離測定装置であるのに対し、2nπの項を排除することは右装置を用いて測定を行う際の測定方法に関することであるから、本願発明の特許性は、右装置が実際に距離測定に有用であることが明らかであれば足りる旨主張する。
しかし、装置を対象とした発明であつても、当該装置の有用性を判断するに当たつては、その使い勝手の優劣は当然判断要素に含まれるものと解すべきであり、本願発明は距離測定装置であるから、右装置を用いた測定方法も有用性判断の対象になることは明らかである。そして、本願発明にかかる距離測定装置は単一ステツプによる距離測定を基礎にしているのであるから、右装置の使用態様においてどのような原理、どのような構成手段により2nπの項を排除することが可能であるかが明細書中に明瞭に記載されていない限り右装置の有用性を判断することはできない。
したがつて、参加人の右主張も理由がない。
さらに、参加人は、2nπの項を排除するということが本願明細書に明示的に記載されていなければならないとするのは、本願明細書の理解を、当業者の立場で行つていないこと及び特許法の目的に反して合理的かつ積極的に行つていないことでも誤つていると主張する。
言うまでもなく、当該発明の重要な事項がすべて明細書に記載され、それらの事項に関連した付加的事項の記載のみが欠如している場合には、その欠如した部分を補うために当業者の立場に立つて当該発明を積極的に理解すべく努めるのが通常であると考えられるが、当該発明において重要な事項が具体的に記載あるいは説明されていなければ、それはもはや当業者が理解すべく努力をする範囲を越えるものであつて、その場合には明細書の記載の不備として取り扱わざるを得ない。本願明細書には、本願発明の重要事項の一つである「基位相差ψが生じるように変調周波数f1で変調する」ことが、実施例の説明としても何ら記載されていないのであるから、この点からいつても本願明細書の記載に不備が存することは明らかであつて、参加人の右主張も理由がない。
3 同(三)について
前掲甲第八号証、第一二号証及び第一四号証によれば、本願明細書及び図面には、本願発明がバーニアの原理を採用していることを示す直接的な記載はもとより、そのことを示唆する記載もないことが認められる。
参加人は、本願明細書には「バーニアの原理」という語は用いていないが、甲第一四号証の補正書中の7、補正の内容(6)記載の実施例の説明において明らかに同様の原理に基づく説明をしており、バーニアの原理が距離測定技術における慣用手段であることを考慮すれば、右補正書記載の説明に不明瞭な点はない旨主張する。
前掲甲第一四号証によれば、同号証の補正書中の7、補正の内容(6)には、「さらに、簡単な測定例について第4図を参照してより具体的に説明すると、先ず始動―停止手段27がパルスCにより切換制御手段15Cを作動させて光切換手段15を位置15aにし、較正動作を行う。第一及び第二の信号チヤネルのパルス整形器22及び23の出力Δf´1及びΔf´2間に一致が生じると、論理信号組合せ手段24がこれを検出し、したがつて一致信号dの発生によりカウンター26はΔf´2により第一及び第二の一致点-1及び-2間の計数を行う(n=4)。パルスCにより位置15bに切換わると、次の一致点3及び一致点2間の同様な計数(m=2)が行われ、<省略>なる位相差が測定可能となる。続いて、途中で位置15bに切換わり一致点-4及び-3間でm=2と計数が行われる。このような測定をくり返し行い、コンピユータ25aで平均を求め、結果としてmから精度の良い距離が算出される。」と記載されていることが認められる。また、前掲甲第八号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明には、「パルス対は次の記号、すなわち、-、-又は+、+又は+、-又は-、+を持つことになる。このシーケンスは、チヤネルⅡ上における中間周波数の一サイクル期間t後にもそれ自体繰返される。従つて、チヤネルⅠ上における中間周波数の期間は、動作の遊びすなわちスタンドバイ・モードの下で、1/tまでの精度でもつて正確に測定される。」(第一一頁第六行ないし第一三行)、「例えば、周波数f1、f2およびf3をそれぞれのステツプにおいて同時に変えることにより、その測定範囲は、その測定精度を何等犠牲にすることなしにそれ相応に拡大される。」(第一四頁第一一行ないし第一四行)と記載されていることが認められる。
右認定の記載内容は、本願発明にかかる距離測定装置における一つの動作態様を示すものであるとはいえるものの、主として、動作の経緯ではなく、その最終結果が示されているにすぎないものであつて、前記記載されている動作を遂行させる場合に、具体的に、周波数f1、f2及びf3をそれぞれどのように選定すべきであるか、その際に右周波数f1、f2及びf3と測定距離との関係はどのようになつているのかなどについては不明であるから、右動作の遂行は極めて困難なことといわざるを得ず、また、右動作態様と異なる態様の動作を遂行させようとした場合も同様の理由によつて極めて困難であるといわざるを得ない。右のように、本願発明にかかる距離測定装置を、本願明細書に記載されているように動作させることが本願明細書の記載からでは極めて困難であるということは、取りも直さず、本願明細書の記載に不備があるということである。
一方、バーニアの原理が長さの測定において慣用手段であることは、技術常識に属する事項であるといえるが、電気的な距離測定技術において慣用手段であることを認めるべき証拠はなく、しかも、本願発明は、バーニアの原理を電気的な距離測定に利用することをその骨子とするものであるならば、本願明細書中にバーニアの原理を採用するものであることを明瞭に記載すべきであることはいうまでもないことである。
したがつて、参加人の前記主張は理由がない。
次に、前掲甲第八号証、第一二号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明に「信号組合せ手段24は、各々が一つの信号チヤネルからのパルス・フランク(Pulse flank)とそして他の信号チヤネルからのパルス・フランクとを含み、一致を示しているパルス対を確認するように設計されており、その入力に入る二つのパルス列について精密な相関が可能である限り、幾多の実施例が可能であり、(中略)別な実施例としては、信号チヤネルⅠおよびⅡ上における信号の周波数間における差に相当するうなり周波数f5に沿つて通過するそのパルス列の対応せるパルス・フランクについて明確な相関がある時点を確認する従来の論理回路信号組合せ要素を含むことができ、」(本願明細書第八頁第一六行ないし第九頁第六行。ただし、甲第一二号証の補正書による補正分を含む。)と記載されていること、前記第一一頁第六行ないし第一三行の記載に続いて、「さてこゝで測定が行われるものとする。基準ビーム1が検出器16に供給されて、そして切換制御手段15Cが状態-、-又は+、+を確認すると、切換指令が光切換手段15に供給される。」(第一一頁第一三行ないし第一七行)と記載されていることが認められるところ、被告は、本願明細書の右第八頁第一六行ないし第九頁第六行の記載と第一一頁第六行ないし第一七行の記載との間には矛盾があると指摘しているのに対し、参加人は、右各記載間に矛盾はない旨主張する。
そこで検討するに、二つのパルス対一致状態の検出に際して、前者の記載はパルス・フランクをみているのに対し、後者の記載はパルスの平坦部をみているような記載であるけれども、一般に、パルスを検出する場合にはそのフランクを利用することが慣用的な事項といえるから、後者の記載も実質的にはパルス・フランクをみているものと推認することができる。
したがつて、右両記載間に被告が指摘する矛盾はないものと認められるが、後者の記載中にはパルス・フランクについて何ら説明するところがないのであるから、その点で右記載には不備がある。
また、前掲甲第八号証、第一二号証によれば、本願明細書第一〇頁第一七行ないし第一二頁第一〇行には、論理信号組合せ手段24でΔf1、Δf2の信号が一致するごとに光切換手段15を切り換えて検出器16へ光ビーム1又は反射ビーム2を交互に入射させ、較正動作と測定動作を交互に行うことが記載されていることが認められ、右記載は、甲第一四号証の補正書7、補正の内容(6)に記載されている、第4図に基づく説明と矛盾しているものと認められるところ、参加人は、右各記載は異なる実施例に関する説明であるからその間に矛盾はない旨主張する。
しかし、前掲甲第八号証、第一二号証及び第一四号証によれば、本願明細書には相異なる二つの実施例は記載されていないものと認められるから、参加人の右主張は理由がない。仮に、実際には相異なる二つの実施例があるとしても、本願明細書上その存在を確認することができないこと自体その記載に不備があるということにほかならない。
4 同(四)について
前掲甲第八号証、第一二号証及び第一四号証によれば、本願明細書には、周波数f1、f2及びf3の関係について、「周波数f1、f2およびf3は互いに規定された関係を有している。」(第六頁第一三行、第一四行)、「周波数f1、f2およびf3の関係はチヤネルⅠおよびⅡ上での中間周波信号間に予め決められたうなり周波数f5が確立するように決められている。」(第八頁第七行ないし第一〇行)と記載されているにとどまり、右以外の記載はないことが認められる。
ところで、右の「チヤネルⅠおよびⅡ上での中間周波信号間に予め決められたうなり周波数f5が確立するように決められている。」との記載から、二つのビート周波数Δf1、Δf2の周波数は比較的近接したものであるということはできるが、周波数f1、f2及びf3を具体的にどのような順序で、どのように設定すれば良いかについては、前記両記載によつても不明であるから、右両記載からはチヤネルⅠ及びⅡ上での中間周波信号間にバーニアの原理が成り立つことを読み取ることはできないものと認められる。
したがつて、本願明細書のこの点の記載もまた不備であるといわざるを得ず、これに反する参加人の主張は理由がない。
以上のとおりであるから、事実摘示第三、二、1、(五)の点について検討するまでもなく、本願は特許法第三六条第四項及び第五項に規定する要件を満たしていないとした審決の認定、判断は、その結論において誤りはないものというべきであつて、審決に参加人の主張する違法はない。
三 よつて、審決の取消しを求める参加人の本訴請求は失当としてこれを棄却する。
〔編註〕 本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
測定点(M)と物標(T)との間における距離(X又はY)を光電的に測定するための装置において…前記測定点(M)に置かれる光源(10)と、前記光源(10)にて作り出される光ビームを変調するために該光源(10)に作用的に接続された第一の周波数の信号(f1)を発生するための第一の信号発生手段(11、12)と、前記変調された光ビーム(MB)を測定ビーム(2)および基準ビーム(1)に分割するべく作用的に配列されている光学手段(50……)とを有し、前記物標(T)は前記測定ビーム(2)を受けそして反射ビーム(2´)を戻すべく位置している逆反射器(14)を含み、更に、前記基準ビーム(1)および前記反射ビーム(2´)を受けるべく位置されている光切換器(15a、15b)と、予め決められた切換特性を持ちそして前記光切換器(15a、15b)に作用的に接続されていて、該光切換器(15a、15b)を交互に作動させるための切換制御手段(15c)と、前記光切換器(15a、15b)の出力に接続されている検出器(16)からの信号および第二の信号発生手段(18)からの第二の周波数(f2)を受信して、第一の信号チヤネル(Ⅰ)としてのその出力に第一の中間周波信号を発生するための第一の信号混合段(19)と、前記第一の周波数の信号(f1)および第三の信号発生手段(20)からの第三の周波数の信号(f3)を受信して、第二の信号チヤネル(Ⅱ)としてのその出力に第二の中間周波信号を発生するための第二の信号混合段(21)と、そして前記第一および第二の信号チヤネル(Ⅰ、Ⅱ)に接続されていて、距離代表信号を発生するための信号評価手段(22~26)とから成ることを特徴とする装置。